東海地方の亜炭田
東海地方は日本最大の亜炭の産地でした。この地方は陶磁器や繊維製品の生産で知られています。亜炭はこれらの産業を支える安価で重要なエネルギー資源でした。亜炭というのは日本固有の名前で、石炭のなかで最も発熱量が少ない褐炭に属します。
この地方の亜炭層は、新第三紀中新世の瑞浪層群(約1,600万年前)、鮮新ー更新世の東海層群及び古琵琶湖層群(500~100万年前)の中に発達していますが、地質時代の違いによって炭質も異なり、地層の固さも軟岩(中新統)から土質(鮮新ー更新統)まで、顕著な違いがあります。亜炭層が賦存する地層と、主な亜炭田の分布を右上の図に示しました。また美濃炭田と尾張炭田の地層の層序を比較したものを下に掲げました。
亜炭採掘の概況
美濃炭田と尾張炭田は特に規模が大きく、日本の亜炭の40%以上を産出していました。美濃炭田では可児の御嵩炭田、瑞浪の日吉炭田が特に知られています。左の地質柱状図を見ても分かりますが、御嵩炭田では夾亜炭層が最も厚く発達し、稼行された亜炭層も4~5層に及んでます。また尾張炭田は、名古屋市東部から近郊の小牧、春日井、尾張旭、長久手、日進などに分かれて分布しています。尾張炭田の亜炭は、美濃炭田のものに較べ炭化度は低いのですが、発熱量はほぼ等しく、灰分が少なく使いやすいということで、良質とされていました。
1960年代から70年代へかけて亜炭鉱業が衰退し、亜炭坑が閉山した後には、総面積3,000ha及ぶ採掘跡が残されました。採掘深度は美濃炭田で最大100m程度で、約50%が50m以深で採掘されました。一方尾張炭田では95%以上が50m以浅で採掘されています。亜炭層はほぼ水平に近く、地層も土質~軟岩であるため採掘は比較的容易でした。通常は立坑または斜坑を掘削し、着炭すると水平に坑道を展開し、幅3m程度の残柱を残して採掘した場合が多いようです。これらの坑道は空洞のまま残されていたものが多く、地表沈下や陥没の原因となりました。陥没被害はかなり少なくなりましたが、現在も続いています。
また愛知県・三重県では厚い火山灰層が発達し、みがき砂として採掘されていました。これもまた地表陥没の原因となっていることは言うまでもありません。